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治療と仕事の両立支援コラム

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2025.03.07

自分が選んだ道を自分で正解にすること・起こるかわからないリスクより、起こるかわからない奇跡を信じたい

フードコーディネーター

長藤 由理花

現在、フードコーディネーターやインフルエンサーとして活躍されている長藤由理花さん。その背景には、卵巣がんと診断され、休養と治療、そして職場復帰する中での様々な葛藤、また「自分らしい生き方を模索しながら病気と向き合った日々」がありました。今回、当時の職場での対応や周囲のサポート、そして自身の内面の変化などについて語っていただきました。

まずは病気がわかったときの状況について教えてください。

当時は27歳で、都内の営業職として働いていました。外勤の営業で毎日お得意先を回り、数字を追う日々でしたね。健康診断も毎年受けていて、さらに婦人科系のオプション検査までつけていましたし、食生活にも気を配っていたので、「自分は人より健康」くらいに思っていました。
ところがある日、体調を整えるために婦人科へ行ったら「卵巣が腫れている」と指摘されました。大きな病院で精密検査をした結果、卵巣がんと診断されて……。無症状だったぶん、まさかという思いでした。

治療と職場復帰までには、どのような経緯があったのでしょうか?

実際は私の場合、いわゆる「通院しながらの治療」ではなく、入院が必要な抗がん剤治療だったため、会社に籍を置いたまま働き続けるのは現実的にほぼ不可能という状況でした。
そこで最初は「退職するしかない」と思ったんです。迷惑をかける期間がいつまでか分からない状態で休職するのは、会社にもチームにも申し訳なくて……。ところが、上司が「何ヶ月かかっても、何年かかってもお前の席は確保する。数字は俺がなんとかするから」と言ってくれて。本当にありがたかったですね。そのおかげで、休職というかたちで治療に入れまして、後に会社に復帰することができました。

本人ご提供写真

職場や上司にはどう伝えましたか? プライバシー面での抵抗はありましたか?

最初に診断を受けた当日には上司に連絡して、「急ではありますが、詳しい話を聞いてほしい」と伝えました。実は、私は「できれば周囲には知られたくない」という気持ちもあったんです。でも引き継ぎなどを考えれば、何らかの説明は不可欠で・・・。結局、上司がチームに対してある程度周知してくれたうえで、私自身も社内向けにメールを書きました。
ただ、そうやってオープンにすることへの抵抗は大きかったです。「病気の私」を周りがどう見るのか分からなかったし、できれば静かに姿を消して、完治したら何もなかったかのように戻りたいというのが本音でしたね。

周囲の理解を得るために、どんな工夫をされたのでしょうか?

上司との信頼関係が大前提としてあったので、私自身は正直な気持ちを話すことにしました。あとは「極力、迷惑をかけたくない」という気持ちもはっきり伝えました。上司は「そんなこと気にしなくていい」と言ってくれたし、同僚も理解を示してくれたので、ありがたかったです。
ただ、取引先が多い営業職だったので、全員に細かく事情を説明するわけにもいきません。そのあたりは上司が代理で引き継いでくれたり、他のメンバーが支えてくれたりして、私が余計なストレスを抱えなくて済むように配慮してくれましたね。

実際に治療が始まってからの、周囲の反応やエピソードで印象的なことは?

ありがたい反面、私としては「みんなに気を遣わせてしまっている」という罪悪感もありました。チームのメンバーや上司は「戻ってくるのを待ってるよ!」と言ってくれて嬉しかったんですけど、私は私で「いつ治るか分からないのに申し訳ない」と思っていて。
一方で、職場が大きな組織だったので、チーム外の人には詳細が伝わっていなかったんです。「なんであの人、急にいなくなったの?」という噂が立ったり、誤解されたりすることもあって、そこは辛い部分でしたね。

職場で活用した制度やサポートはありましたか?

正式には「休職制度」しかなかったと思います。でも、私の場合は契約社員の立場だったので、本来ならば更新期限を迎えたときに退職せざるを得ない可能性もあったんです。それを、数字をカバーすることを条件に、上司が会社に掛け合ってくれました。
本当は、社内に「治療と仕事の両立制度」のような「第三者の介入」みたいな仕組みがあるともっと楽だったかもしれません。自分ひとりと上司の力だけで乗り切ったところはありますね。

過去の経験から、治療と仕事の両立に必要だと感じるサポートや制度は?

やはり専門知識を持った第三者が患者と会社の間に入ってくれる仕組みだと思います。医師は病状のことしか分からないし、会社側も法律や医療の専門家ではない。「いつ、どれくらい働けるのか」を調整してくれる両立支援コーディネーターのような方がいれば、私も無理をせずに復職できたんじゃないかなと、今になって感じます。

職場に復帰することを選択したことで、得られた気づきや成長はありますか?

「責任感を抱えてしまう」葛藤もありましたが、上司や仲間が待っていてくれるという事実が私の大きな支えになりました。
幸いにも、がんは転移も進行もしておらず、寛解を迎えることができたということもあり、
病気によって「失うものが多い」と思っていましたが、結果的には何も失わないまま自分のキャリアを広げられたんです。辛い中でも、自分らしく仕事を続けようとしたからこそ、今の道が開けたと思います。

同じような状況で悩む方へ、メッセージをお願いします。

一番伝えたいのは「自分が選んだ道を自分で正解にする」ということです。どちらを選んでも、リスクや不安はつきまといます。でも、その選択をベストにしていくのは自分自身。会社を退職するのも、休職するのも、働き続けるのも、どれも正解になり得るんです。
もし迷ったら、遠慮せずに周囲や専門家に相談してほしい。私は上司の支えがなかったらここまで来られなかったと思います。病気を前にすると怖さも大きいし、人それぞれ病気のステージも環境も違うので難しい部分ではありますが、希望を捨てないでいてほしいですね。

病気の治療と仕事を両立するというと、「通院しながら働く」イメージがあるかもしれません。でも、私のように一度大きく休んで治療に専念し、それでも職場が受け入れてくれたことで、後に復帰して新たなキャリアにつながるケースもあります。
「自分一人で抱え込まない」――それが何より大切だと思います。

会社員時代は社長秘書や営業職、生鮮食品EC担当など、さまざまな職種を経験されたそうですが、食のお仕事は当初から目指されていたのですか?

漠然と「いつか食の仕事をしたい」という気持ちはありました。実はフードコーディネーターの資格も持っていたんです。ただ、すぐに独立できるわけでもないので、最初はビジネスや営業スキルを身につけたいと思い、人材業界で働きつつ、営業も経験しました。その後、食のマーケティングを手がける仕事に声をかけてもらったんです。

病気を経て転職されたきっかけや、本当にやりたいことを見つけた経緯を教えてください。

営業職時代に、卵巣がんが見つかり、治療のため休職しました。復帰後、しばらくしてから「食の仕事をするなら今だ」と思い立ち、転職を決意したんです。
病気によって「いつかやろう」が「今やらなきゃ」に変わったのも大きいですね。人生いつ何が起こるかわからないということを意識すると、やりたいことを先延ばしできなくなるんです。

仕事とプライベートの優先度、価値観は病気前と後で変わりましたか?

一番変わったのは「健康を当たり前と思わない」ことです。以前は、健康なんて意識せずに「やりたいことが最優先」でした。でも病気を経験してからは、「生きていること」自体が一番の土台なんだと。もちろん仕事も大切ですし、今も忙しく働いていますが、体調を崩さないよう日々の暮らしを大切にするようになりました。

パートナーとの関係で、闘病中に特に支えられたエピソードはありますか?

夫(当時は交際2週間)の前で病気のことを告白するとき、「もう別れを切り出すしかない」と思い込んでいたんです。でも彼は「よかった、一緒にいられる」とすごくポジティブな言葉をくれました。私には衝撃的で、涙が止まらなかったですね。そこで「一緒に頑張る道があるんだ」と初めて実感できたんです。

ご本人Instagramから

病気によって「失った」と感じたことと、「得た」と感じたものがあれば教えてください。

当時は「全てを失う」と思っていました。髪の毛も卵巣も、結婚や子どもを持つ未来も、キャリアも……。でも、無事に病気が寛解したこともあり、最終的には何ひとつ失わずに済んだんですよね。いま振り返ると「考え方次第だったな」と感じます。

むしろ得たのは、「自分が選んだ道を正解にする」という強い意志かもしれません。治療方針も子どもを持つかどうかも、自分の決断を前向きに捉える力を養えた気がします。

結婚・出産・子育てを経験されたなかで、「生活」はどのように変わりましたか?

価値観や日常の優先順位がガラッと変わりましたね。子どもが生まれると、自分ひとりの問題じゃなくなる。病気の再発リスクも頭をよぎりますが、そのぶん「1日1日を大事にしたい」という気持ちが強くなったと思います。

SNSなどで情報を発信することで、新たな気づきや周囲の反応はありましたか?

実は積極的に「がん」について発信しているわけではなくて、どちらかというと日常の出来事や家族との時間を載せているだけなんです。でも、CM出演などをきっかけに多くの方が私のインスタを見つけてくださったみたいで、「同じ病気で辛いけど、あなたを見て希望が湧いた」といったDMをもらうことが増えました。正直、SNSの発信の言葉選びはすごく難しく、「がんが治ればこんな幸せが待っています」という発信はしたくない、できないと思っています。状況は人それぞれなので。ただ、そういう形ではなく、自分の今を私が発信し続けることで「誰かが希望を持ってくださることはもちろん嬉しい」と思っています。

日常の投稿が「何気ない幸せ」を感じさせる印象があります。意識的に発信されているのでしょうか?

全く意識はしていなくて、自分が日々大切にしていることを、娘や家族と共有する気持ちで残している感覚です。日常って、意外と当たり前でないことがたくさんあるんですよね。
だからこそ、小さな幸せや何気ない暮らしを切り取っておきたいと思うんです。もしそれが誰かにとって心温まるものなら、こんなに嬉しいことはありません。

ご本人Instagramから

最後に「起こるかわからないリスクより、起こるかわからない奇跡を信じる」心構えについて、改めて教えてください。

卵巣の全摘を提案されたとき、私は片方を残す選択をしました。もちろん再発リスクは高くなりますし、周囲には「怖くないの?」と言われることもありました。けれど、「子どもを持ちたい可能性が少しでもあるなら賭けてみたい」と思ったんです。

自分が選んだ以上、後悔しないように行動するしかない。そのスタンスが「リスクより奇跡を信じたい」という気持ちです。結果として私は出産を経験しましたが、万人が同じ結果になるわけではないかもしれません。でも、「まだ見ぬ可能性」にかける強さを持ち続けることは、人生を前向きにしてくれると思っています。

「いつかやろう」を病気によって「今やろう」に変え、結婚や出産、さらには好きなことを仕事にするという道は、全て自分が正解にしてきた選択だと思っています。
そこには迷いも不安もありました。それでも「起こるかわからない奇跡」を信じる姿勢が、日々を力強く彩っているのです。多くの人が抱える「病気=失う」というイメージも命さえあれば覆せるものもある、と信じることで明日への希望へと繋がるのかもしれません。

プロフィール

長藤 由理花

フードコーディネーター

1992年生まれ。神奈川県横浜市出身。フードコーディネーターの資格を活かし、食にまつわるプロモーションのプランニングディレクターをしている。インフルエンサーとして、日々の子育てなどの情報も発信中。