厚生労働省

治療と仕事の両立支援ナビ

治療と仕事の両立支援コラム

こちらのページでは記事形式で
コラムをご覧いただけます。

  • #  本人
  • #  企業
  • #  医療機関

2024.2.5 

情けは人のためならず

社会保険労務士法人 中村・中辻事務所 代表社員
株式会社インフィニティ 取締役

中辻 めぐみ

生産性がより求められる世の中へ

働き方改革の一環で、残業時間の上限規制が法制化された。職場環境の改善に向けて多くの企業が舵を切り、過重労働の削減に向けて大きな一歩を踏み出した。と、同時に「生産性」への意識が高まった。ここでの生産性を「物的労働生産性」と捉えた時「生産量÷労働者数」となる。限られた人材の中で、無駄を省き、より多くのものを生み出すために、今まで以上に、効率的に動くことが求められるようになったともいえる。さらにコロナ禍で、テレワークも進み、今まで見えなかった各個人の仕事にかかる時間も明確になってきた。

個人の働き方の集結だけではなく、組織の成熟度が鍵となる

このような中「病気を抱える社員」はどうなるのか?一見、この「効率的な働き方」から外れ、配慮すべき対象としてのみ組織に迎え入れられる者になるのだろうか?否、筆者はそうではないと思う。先の物的労働生産性を考える時、一人一人の社員の働き方の集結となるため「健康でバリバリ働く人」が重視される傾向にある。しかし、この視点の行きつくところは、人を「機械的」に捉えている。「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉がある。自分自身の尊厳を守られ、組織や社会に向けて貢献していると感じて初めて、精神的な充足感を得られるのではないだろうか。病気を抱えていたとしても、誰かの役に立っている自分であり続ける、またそれを支援し配慮する組織体制がある、そのように成熟度の高い職場は結果的には生産性が高いと思われる。高度経済成長期のように、物をつくれば売れた時代ではない、長時間労働で成果を得てきた働き方も終焉を迎えつつある。今後は、様々な価値観や背景を持った社員一人一人が充足感を持つ、柔軟な組織の在り方に変えていくことが、今後は求められると思う。

病気や仕事の両立に関わる事項を就業規則に盛り込むことの意味

しかし、矛盾するようだが、企業活動を行う限り物的労働生産性も切り離すことはでき ない。ではどうするか?バランスなのである。当該職場の中で、どこまで配慮するのか、それを明確にしておくことが重要なのだ。これらを就業規則等に盛り込んでおくことが求められる。何らかの病気に罹患している状態で、新たに会社に入る際には、本人も会社に配慮を求めて、事前に告知をすることが想定される。その際には会社側も、労働条件の話し合いは、比較的容易に行えると思われる。
一方、健康な状態で入社し、その後に何らかの病気を経て、治療を続けながら業務を行うこととなった場合に、本人も会社側も苦慮するケースが多いように思う。本人は「今までどおりに働ける」と思い、会社側は「安全配慮義務」の壁で頭を悩ますのだ。
具体的にはこうだ。「今まで通りの仕事をお願いしたが、病気を抱えているのに問題ないか?」「仮に今の業務から外れてもらった場合、労働条件の不利益変更にならないか?」等。そしてこのような声も良く耳にする。「心情的には、職責も報酬も今までと同じにしたい、しかし、それでは組織としての公平性が担保できず、周囲の社員への納得感も得られない、一体どうしたら?」その際に、要となるのが就業規則などの社内のルールである。ここでは、復職後の処遇を定めた条文を紹介したい。

「●条 復職後の職務内容、労働条件その他の待遇等については、休職の直前の待遇を基準として会社が定める。ただし、復職時に休職前と同程度の労務提供が行えず、業務の軽減措置等をとる場合にはその状況に応じた降格、給与の減額等の調整を行うことがある。」

休職に入る前に、休職通知書等に、休職期間や休職中の対応などを記載したものを渡すことが望ましいが、その際に復職後の労働条件なども併せて記載しておくと、後になってトラブルになることを防げる。加えて、復職後に処遇が変更になる可能性も提示しておき、その根拠として、就業規則の条文を掲示していく。復職後も病状や治療のために、配慮として、職責の変更や業務の軽減に伴って労働条件等の変更をせざるを得ない場合、この規定が根拠条文となり、会社としてもルールに則った対応であることを社員に示すことができる。

在宅勤務(テレワーク)など多様な働き方への検討

また、在宅勤務などの検討も望ましい。通勤がないことから体の負担が少なくなる、体調の波がある時でも自分のペースで働けるなどの利点がある。実際にコロナ禍においては、基礎疾患がある社員は、重症化する可能性が高いため、在宅勤務に切り替えた企業も多かったと思われる。一方で、仕事の配分や他の社員との不公平感や、テレワークによって「孤独感を感じやすい」という点も考慮していくことが求められる。そのため事前に、期間や頻度、どのような条件で在宅勤務とするのか、解除する場合の条件、在宅勤務時のコミュニケーションの取り方、相談窓口等も事前に話し合い、取り決めしておくことが望ましい。

「ねえ、先生。うちって良い会社でしょ」

当事務所の顧問先の社員で、癌に罹患された方の最期の言葉である。定例訪問した筆者を見つけるといつものように笑顔で挨拶をされ、タイトルの言葉の後に「良い会社に勤められて私は幸せだった。ギリギリまで『働くおやじ』を家族に見せられるからね。」とおっしゃって下さった。すでに過去形で話をされるのは、覚悟の上であったのだろう。そこに至るまで、当該会社は、産業医と筆者の事務所、社員の家族も巻き込んで、癌の治療と仕事の両立に関する労務管理について、何度も協議を重ねた。この時に要となったのが、会社の意向、法的なリスクヘッジと共に「社員がどうしたいのか」だった。「最期までここで働き、社会に貢献したい、し続ける自分であり続けたい」この想いを一丸となって遂げようと臨んだ。その想いが、先の言葉につながるのだろうと思う。当該会社は、元々、社員へ手厚い職場環境を提供してきたが、この件をきっかけとし、早期発見のためがん検診を定期健康診断に組み込んだ。癌=死に至る病ではないことは多くの方がご存じだろう。しかし、そのためには早期発見が重要である。だからこそ、この会社は「私傷病の枠」を超え、社員の人生に関わることとして、がん検診の重要性を周知し、希望者全員に受けることができるようにした。
また休職中の社員の家族との連携を積極的に取るなど、病気の治療と仕事の両立にも力を入れていくこととなった。

この会社の支援を通じ、筆者が学んだものは「社員を大切に思う会社の仕組みづくりは、働く側にも伝わる。」ということだ。事実、当該会社は、人材定着率が高く、新卒採用も順調に進んでいる。人材の育成にも力を入れており、今では女性管理職や若手社員の活躍などもめざましい。それは業績向上という結果として数字にも出ている。物的労働生産性も重要だが、それだけでは、組織は円滑には回らない。病気に罹患した社員への対応に迷ったら、この事例を参考にしていただけるとありがたい。

当該会社に定例訪問すると、応接室に黄色いシンビジウムが飾られている。先の言葉を下さった方が、入院先から会社へ感謝の気持ちを込めて贈られたものだ。
それを目にする度に、鬼籍に入られた今なお、会社を応援して下さっているようにも思えるのだ。
「情けは人のためならず」改めて、古の言葉の意味をかみしめたい。

プロフィール

中辻 めぐみ

社会保険労務士法人 中村・中辻事務所 代表社員
株式会社インフィニティ 取締役

特定社会保険労務士(東京都社会保険労務士会所属)
独立行政政法人労働者健康安全機構 労働安全衛生総合研究所
産業カウンセラー
衛生管理者
健康経営エキスパートアドバイザー
アンガーマネジメントファシリテーター

【所属学会】
公益社団法人 日本産業衛生学会
一般社団法人 日本産業保健法学会

大分労働基準局に労働事務官(当時)として入局。以来、労災保険業務に携わり「脳・心臓疾患」「精神障害等」の給付業務を行う。現在は「メンタルヘルス」「安全衛生部門」「セクハラ・パワハラ」「過重労働対策」を中心に企業に向けてコンサルティングを行なっている。講師活動は年間100本以上、企業、官庁などに向けて多数。